カナダナニービザ(ケアギバー
プログラムビザ)で働いて1年半
になります。
この、ナニーとしての1年半で
最も辛かったことをシェア
します。
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カナダナニービザで働いた1年半を冷静に振り返ってみる

保育経験も、子育て経験も、
親戚の子供の子守さえしたことが
なかったナニー完全未経験の私が
奇跡的に雇用主を見つけたのは
約2年前。それからわたしの2年の
ナニーのワークビザを取得する
ためのペーパーワークを雇用主に
してもらって、約半年でナニー
ワークビザを取得することが
できました。

カナダのナニーワークビザは
2年。長いと思っていたけど
気づいたら1年半経っていました。

仕事がうまく行っていなかった
最初の1年半辛すぎて、ブログで
自分がナニーであることを公表
するのさえ嫌だったし、辛い仕事
の内容をブログに書いて、辛い
ナニーの仕事を一瞬でも思い出す
のが嫌でした。

だから最初のこのブログでは、
ナニーの仕事に関することは
一切書いていません。最近にな
ってナニーの仕事について書ける
ようになったのは、やっと今の
仕事が楽しくなってきたのと、
あと半年でようやくこの激務から
解放されるという未来が見えて
きたからです。

カナダナニービザで1年半働いてもっともつらかったこと

カナダナニービザで働いて最も
つらかったこと、それは子供たちの
私にたいする「試し行動」でした。

私が仕事を始めた時、長男は2歳
上の子は2歳半、下の子は生後
6か月でした。

「ためし行動」というのは、子供
が突然やってきた見ず知らずの
ナニーが本当に信頼できるのか
どうかを試す行動です。

下の子はまだ赤ちゃんだった
のと、幸い私にすぐなついて
くれる人見知りしない性格
だったので、試し行動はそれ
ほどひどくなかったですが、
問題は2歳半。物心ついて
イヤイヤ期で、母親でさえ
手を焼いていた上の子の
私に対する「ためし行動」は
壮絶でした。

具体的には私が家に来ると
「だめ!!お前は家に
入るな!家に帰れ!お前
なんか大っ嫌い。
こっちに来るな。」

と全力で私が家に入ろうと
するのを阻止しようとする。
(なぐる、おす、ける、
かみつく、ひっかく)

家に着いたらまず彼を
なだめて自分がどうにか
家に入らないといけないので
彼を説得するために膝を
ついて彼と同じ目線にして
話をしようとすると

こんな感じで顔をひっかかれて
1か月くらい顔に跡が残ったり
しました。

私を必死で攻撃しながら
母親が家を出ようとすると
「行かないでー。」
わんわん泣いて、どんなに
なだめても1時間以上
泣き止みませんでした。

が、こんなの序の口。

ためし行動は、母親が家を
離れるとさらに激化します。

生後半年、赤ちゃんの世話
でちょっとでも上の子から
目を離すと、ぎりぎり手の届く
食器が入った引き出しを
開けて、ナイフを手に取ろうと
します。

鋭利なナイフではないですが、
もちろん2歳児がさわって
けがをしたら大変。

どうにかそのナイフを取り
上げようとするとギャン泣き。

自宅勤務の父親のところ
にかけよって、

「Ayaがいじめた」
と私を悪者にすることで
父親の気をひこうとします。

電車のおもちゃ、プラレールの
線路を作ってというので、私が
一生懸命作ると、作った
直後に
「こんなのプラレールじゃない」
と破壊。

破壊して遊べなくなった
プラレールを見て
「壊れちゃったー」
と大泣き

ウンチをしたおむつを一刻
もはやく替えようとするも

おむつを替えるのを全力で
拒否。

10時間の勤務時間が24
時間以上に感じました。

何をするにもまずは私が
一番困るであろうことをして
反抗してからじゃないと
気が済まない。

彼はこの「ためし行動」を
とることで、いきなりやってきた
見ず知らずの日本人ナニー
が「自分がどんなことをしても
受け入れてくれるのか。」
を本能的に試していたんです。

子供の性格や年齢にも
よりますが、このためし行動
はナニーを初めて最初の3か月
は続くから、まずは3か月
耐えなさい。

とナニー養成学校の校長先生
が言っていました。

なので「3か月は絶えないと」

と言い聞かせて、とにかく耐えた
のでした。
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ためし行動は結局1年続いた

3か月と思っていたのに、この
ためし行動、1年も続いたんです。

徐々に暴力的な面は収まって
いったものの、1年は毎日
私が家に着くたびに
「家に帰れ。こっちに来るな。」
と言われ続けたのでした。

ふつう3か月といわれるためし
行動が1年も続いたのは、
おそらく、私の働くスケジュール
が不定期だったからです。

ふつうナニーは週5日、9時
から4時など、決まった時間
決まった日にちに来ます。

週5日はナニー、週2日は
母親とすごすことになり、
ナニーと過ごす時間のほうが
長いことによって、ナニーに
慣れてくるのですが、私の
場合は雇用主の仕事の
都合に合わせて週3日
1日10時間しか働いて
いませんでした。

しかもその曜日も不定期。

月水金だったり、月火水
だったり、
月火だけの時もあれば
次の週は月火水木と4
連勤だったり。

私と過ごす時間は常に
母親と過ごす時間より
少ないんです。

だからいつまでたっても
私より母親がいいってなるし
「私が来る」=「大好きな母親
が働きに出てしまう」

という方程式が成立し、私は
悪者なのでした。

また、スケジュールが不定期
というのも、同じルーティンを
好む子供たちにとっては
慣れにくかったみたいです。

ママがずーーーと一緒にいて
くれる時があれば、次の週は
急に私が毎日来るようになる。

かと思えば一日おきに私が
来るときもある。

すごく混乱したというのもある
と思います。

父親に虐待を疑われる

子供のためし行動が1年も
続いたことで、父親からは
虐待を疑われました。

これはつらかったというより
めちゃめちゃくやしかったです。

どんなわがままも悪さも根気
よく受け入れて叱って。

毎日家に帰れといわれ
噛みつかれるのにたえて、
心が折れそうな中
一生懸命子供のために
働いていたのに、父親は
そんな私を疑っているのを
すぐに感じました。

父親が在宅勤務の時は、
私が部屋で子供の相手を
していると、ノックもせずに
いきなり部屋に入ってくる
んです。

それも2時間おきくらいに
何も言わずに。

監視されているとしか思え
ませんでした。

上の子がないか悪いことを
して私が叱ると、わんわん
泣いて
「Ayaがいじめた」
と父親のところに泣きつくと

「Ayaは何をやったんだ?!」

と、私が本当に子供に
意地悪をしたみたいに私を
問いただしてきて、

めちゃくちゃ腹が立ちました。

もしも母親もそういう態度
だったら、即やめていましたが
幸い母親のほうは私のつらさ
や、私が一生懸命やっている
ことを認めていてくれて、
一度も監視してくるような
疑いにかかるようなことは
なかったし、私のことをいつも
心配して、いつも私の味方
になってくれたのでした。

カナダナニービザで1年耐えたらこれまでの苦労が嘘のように子供が急になつきだした

さすがに1年も「家に来るな」
と暴力を受け続けていたので
2年間ずっとこうなのかなーと
半分覚悟していました。

が、驚くことに1年たったら
これまでのためし行動が
一切なくなって、急激に
私になつき始めたんです。

驚きでした。

それまでずーっと家に着くと
「家に帰れ」
となかなか家に入れてくれ
なかったくせに、最近では
「AYA——!] と走って私のところにかけよって
きて、

「会いたかったよー。なんで
昨日は来てくれなかったの?」
と熱烈なハグで迎え入れて
くれるんです。

1年間試し続けて、ようやく
私を受け入れてくれたの
でした。

また、おもしろいことに、母親
に対してはこれまで通り大好き
で子供たちにとっての「一番」
の存在なのですが、
父親に関しては、私のほうが
子供たちにとっての順位が
高い感じなんです。

というのも、
私と遊んでいるときに父親
が帰ってきてもガン無視で、
寂しくなった父親が
「今帰ってきたよアピール」
をしても
「パパ、僕はいまAyaと遊んでる
んだから、邪魔しないで!!」
と、かつて彼が私にしていた
ことを父親にするようになった
んですwww

虐待を疑って監視しようと
してきた父親が大っ嫌い
だったので、これには正直
「ざまーみろ:P」
と思いました。

子供はよく見ています。
たぶん私が一生懸命働いて
いるところ
虐待を疑って私に辛くあたったり、
必要以上にどうでもいい雑用を
おしつけてきたりして、私が
嫌な思いをしていたのを、こども
は感じ取っていたのかも
しれません。

こどものそんな豹変ぶりを見て、
やっとこれまでの自分の私への
奴隷扱いを反省したのか、
最近では2時間おきの監視も
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なくなったし、嫌がらせの
雑用を押し付けてくることは
なくなりました。

つらかったけど1年耐えて本当に
よかった。あと半年頑張ります。

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